ハトのグラス
いつも仕事の事ばかり書いてるので、たまには“ 捨てられがちな日常”を拾ってみる事にしましょう。
うちに来た事ある人ならきっと知ってる、思わず「なつかしい!」との声もあがるほど常時使っているこのグラスは、たしか15年くらい前に杉並の救世軍のバザーで購入したもの。
古くてモダンなモノに心惹かれてしまう私は、当時ヒマがあると古着屋やフリマ、雑貨屋を見て歩いていた。
コレを見つけたときは、なんだかときめいたな〜。
シンボライズな鳥が空に向かって羽ばたいてる、ってデザインもいいけど、
なんてったって、インクが半透明で他の鳥と重なって見える、っていうのがたまらない。
光に透かしてみたくなる。う〜んたまらない。
値段的には200円くらいだったので(バザーだしね)、即購入。
東京に出て来てまだ2〜3年だった当時は、このハトが何だか知らなかった。
ましてや新宿なんて行かなかったし。
すぐ後に、このハトが京王百貨店の包み紙や紙袋のデザインだと知るのだけど。
そうこれ、京王百貨店のノベルティグッズなんですよ。1960〜70年くらいの。
それを知ったときは「へぇ〜そんなもんか」とも思ったけど、カワイイのに変わりはない。
そして現在も変わらず愛用。
そして随分経ってから知るのだけど、この京王百貨店のハトのデザインは、
かのソール・バス氏によるものなのだそう。
ソール・バスと言えば、映画のタイトルロールのデザインが有名で、『ウエストサイドストーリー』『サイコ』『めまい』『悲しみよこんにちは』『黄金の腕を持つ男』『北北西に進路を取れ』など、50年代〜70年代の記憶に残る斬新なデザインは彼だ、と思っても間違いないかも。
ソール・バスについてはまた今度くわしく書こうかな。
そんな私も敬愛するデザイナー、ソール・バスによるグラスと共に過ごす日常は、
あまりにも日常で消え入りそうになる。
お茶を入れたり、ミルクを入れたり、ほったらかして茶渋をつけたり…。
たとえば、ミッドセンチュリーデザインがブランド化された昨今、中目黒辺りでこのグラスを見つけたとしたら、もしかしたら値段がゼロひとつは違うかもしれない。
高く買ったら扱いが変わるだろうか?
いや、そうじゃないんだな。
実質、高く買ったピエールカルダンのレインボーカラーのグラスは、次々と割れてしまった。
同じ佐々木硝子の製品なのに。同じ年代のものなのに。
私がコレを愛している本当のワケは、“割れない”ということかもしれない。
形が強いのかな?
なんかずっと黙って側にいる、気付いたらついてきてたコイツは、
もしかしたら私の日常を一番知ってるヤツかもしれないなぁ〜。
将来コイツが割れて、その時私がお金持ちだったら、
高くても同じものを手に入れるかな。
見つけたら買うだろうな。見つからなかくても探さないだろうな。
バカラのグラスとかも揃えちゃったりして、そんな横に置かれたりするのかな。
でもたぶん今と同じ日常的なキブンで、日常的な使い方をするんだろうな。
なんだろ、状況が変わっても今と変わらない、ってヘンに確信するものがあるのよ。
モノを“好き”なキモチって、そんな感じかな〜なんて思うワケさ。
今日もこのグラスにお茶を入れる。
Macの左側にずっと置かれている。
ゴハンのときは、食卓へ持って行かれ、食後またMacの左側へ戻される。
持った時の感じ、丸みや大きさや重さが自分になじんでいる事にすら、最近は気付かなくなった。
そんな掃いて捨てるほどの日常を、これからも繰り返すのだと思う。
できれば、コレに入れたお茶を、私が半分も飲めなくなるくらいヨボヨボの時が来るまで、私の側にいてだまってお茶を飲ませて欲しい。
そんな風に、今日思った。
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