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2011/04/20

今回岩手へ行ってきて

最後に、今回岩手へ行ってきて。

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行く前は迷ったけど、行って良かったと本当に思う。
まず、自分自身が救われた気がしたんだね、なぜか。
今まで、なんだかんだでモヤモヤしてたのかもしれない。
それは地震へのコワさだったり、被災地へのやるせなさだったり、色々。
東京を離れたことで、やっぱり東京の人も薄く被災してると感じられたし、私自身は、心労は東京に居るときの方が大きかった。
それは、盛岡でほとんど余震がなく元気に街が営業してたことと、放射能の心配がなかったことが大きかったかもしれない。
岩手では、放射能の「ほ」の字も誰も口に出さない。=心配してない。

避難所へ伺って、またこちらが救われた。そりゃあ皆さんスゴク大変な状況にあるわけだけど、なんだろ、あっけらかんと元気なのね。まあ、やるしかない、的な。
それに比べて東京の方は、みんなカリカリ、イライラしてる気がする。もちろん、そうならざるを得ないのは東京都民だから知っている。けど、少し病んでいるかもしれない、東京。現に私もそうなのだろうけど。
「がんばろう、ニッポン」とか「今自分に出来ること」とか、現地に居るとホント外国語のようで、「なんか言ってはるな〜」くらいにしか思えなかった。「遠い所で神妙な顔してはるな〜」みたいな。
それを特にバカにする気もおきないくらい、野と山と海に囲まれ、ひたすらこの目の前の瓦礫をどうしようか、今日をどう過ごそうか、という毎日に尽きる気がする。

今日見たニュースで、釜石の高校生が「どうなったら復興?」と質問されて、こう答えた。
「海に船が走ることですね。船が走って港に魚がたくさんあがることです。そうなったら復興したなーって思う。」
実際、壊滅した港を見てきて、働き先を失った人々に会ってきて、私も実感としてそう思う!
安全な盛岡や温泉地に出て暮らしたらいいじゃない? と思ってたけど、そうじゃないんだな。自分の生まれ育った土地で、元の仕事をやりたい。それが復興なんだ。

釜石で作られている海宝漬をお土産に買ってきた。
また来年も、その先もずっとずっと食べられることを願ってる!

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↑大槌の港。

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※同行のしりあがり寿さんがTwitterでつぶやいた「岩手被災地訪問で見て感じたことの備忘録」がコチラにまとめてあります→。合わせてご覧下さい。

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2011/04/19

盛岡カワトク前でチャリティバザーしました

(4/16の日記です)

岩手最終日、朝10時から盛岡カワトクデパート前でチャリティーバザーをしました。

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↑しりあがりさんは午前中のみ在中。生憎の雨。雷も鳴るほどの悪天候でしたが、Twitterを見て駆けつけてくれたファンの方などで賑わいました。

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↑隣で支援物資も受け付けてましたが、結構次々持って来られるので見ててチョッピシ感動。雨の中お疲れさまです!

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↑さるハゲからもTシャツ、マグカップ、灰皿、ポストカード、などなど持っていってバザーに出品。

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↑『地球防衛家のヒトビト』公認で、キャラクターがSAVE IWATEのシンボルに。ハンカチが刷り上がって店頭に並びました。
この地球防衛家のSAVE IWATEハンカチの収益は、SAVE IWATEの活動資金として、支援活動に使われます。
1枚1000円。欲しい方はSAVE IWATEのwebへお問い合わせをどうぞ。

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↑お昼は盛岡名物わんこそばをいただきました。私は46杯! 最高の人は100杯超えてたかな? 次々つがれるお蕎麦にみんな苦笑〜爆笑へ。味もおいしかったです。楽しかった!

午後は帰路へ。

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↑東北道で、前の車が急に減速。あやうく玉突きになるかと思った〜。渋滞になったと思ったら、後ろから救急車が。どうやら今、事故があったらしい。「ここで出よ」の電光掲示板、初めて見ました。しょうがないので築館(宮城県)で出て下の道へ。

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↑下の道を走ってビックリ。歩道が大きく陥没してたり、裂けたり、とにかく地震の爪跡がたくさん残っている。上の写真は石材屋さんのモノが軒並み倒れてるところ。盛岡の石材屋さんは全然倒れてなかったし、爪跡も見なかったので、いかにこの辺の揺れが激しかったか、また激しいのが続いてるのかを知りました。

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長者原から再び高速に乗って出発。

そこからはこのガイガーカウンター、通称ガイガーくんが主役に。
この製品、もちろん放射線量を計る機械なんですが、数値が出るワケじゃなく、「ピッ」という音の間隔で濃度を知るというもの。
つまり、音と音の間隔が短くなると、放射線量が高くなってる、と言えるわけです。

岩手では、音の間隔は8〜9分ごとでした。説明書見ても、2〜8分間隔は正常値、とある。
「原発の前に立ったらピピピピピ…なんて連呼するのかなぁ〜コワイね〜」なんて話してたのですが、なんせ中国製、
「ホントに動いてんのぉ〜?あ〜ん?」と、みんな信じてませんでした。

そんなガイガーくんの音の間隔を、高速道路で計ろうと言うことに。携帯のストップウォッチ機能で。
最初は8分間隔くらい。普通。
ところが! 福島が近くなってくると、6分間隔くらいに!
間違いじゃね〜? なんて言ってるうちにだんだん短くなる。
4分間隔、3分間隔…とどんどん短くなるのには、サスガに怖かったです。
最終的に、1分15秒まで観測して「ここはどこだ?」と確認したら、やはり福島の原発から北西あたり50kmくらいの位置でした。
うーん! 感知してるやん! ガイガーくん!
そこから東京に向かって遠ざかっていくほどに、ガイガーくんはおとなしくなっていき、また緩やかに8分間隔くらいに戻っていったのでした。
東京に戻る頃には“ガイガー先生”と称号も改められ、私たちは、改めて目に見えない放射線に怯えたのでした。

こんな中暮らしていかなきゃいけない近辺の方は本当に大変だと思います。
地震、津波、だけでもものすごく大変なのに、加えて放射能…放射能問題さえなければもっと早く復興してゆけるのに…と本当に腹立たしい。
先は長いけど、これ以上ヒドイことにならないよう、将来の世代にゴメンネと言わなくて良いよう、我々大人が考えて行きたいものです。

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2011/04/18

釜石の現地ボランティアに参加しました

(4/15の日記です)

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↑朝6時に車で盛岡を出る。途中朝市に寄って新鮮な野菜や魚の市場を見学。100円のお好み焼きを買う。 ダシ味のトロロ入り小麦粉を薄く焼いた和風クレープみたいなモノだったけど、めっちゃ美味しかった♪
頬っかむりのおばあさん達が古いストーブを囲む姿は、いかにも東北らしく、絵になってた。そして皆元気だ。女のあっけらかんとした笑顔は頼もしい。

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↑盛岡から山道を1〜2時間。遠野のセンターに朝8時集合。ここでボランティアの登録をする。いろんな所から人がたくさん集まっている。ヘルメット、ゴーグル、長靴、マスクは標準装備で、みなさん本気度が漂っていてドキドキ。ヒョエ〜!私は正直がれき除去とか力仕事には自信ナイよ〜。もちろん、ボランティアは初めて。自分なんか役に立てるんだろうか…けど、自分のペースで頑張るぞ、とキラッキラの朝日に思う。長靴、マスク、軍手は持参した。粉塵を想定してコンタクトはやめてメガネにした。

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↑ヘルメットなど貸し出ししていた。他にもスコップやクワなども。

ボランティア保険に入って、いろんな派遣先へ割り振られる。
大きな声で「おはようございます!」と挨拶があり、注意事項が言い渡される。
「作業中も地震・津波があるかもしれないから避難経路を各自で確認してから作業すること」
「先日もピアノを運んでいて骨折をした人がいるが、自分のペースで無理のない仕事をすること」
「悪く言えば、被災者も我侭になってきてる時期なので、クレームトラブルにならないように安請け合いは決してしないこと」
そしてバスに乗って派遣先へ向かう。
毎日状況が変わる中、対応しながらこれが繰り返されてるなんて、タイヘンだー!

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↑我々一行は釜石へ割り振られ、またそこで受付・登録をした。
名前や住所を書き込んで、配布される水をもらう。軍手やマスクも配られてた。分からない事だらけだけど、みなさん親切に教えてくれた。

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↑これが仕事内容の表。いろんな仕事がある。必要な人数や性別も明記されてる。

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↑ここ釜石シープラザの大きなテントに、様々な支援物資が届いていた。見てる間にも宅急便の車が荷物を下ろして去って行った。この荷物の中身を把握して、必要な所へ割り振るのはタイヘンだと思う。現場を良く知った人でないと出来ないだろうし、さぞかし現場の手が足りないだろう、と初見でも思う。


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↑釜石シープラザがこの辺の集積所になってるので、自衛隊の車もたくさん停まっている。

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↑バスの中から見えた釜石の光景。無惨な姿の車が整然と並ぶ。

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↑釜石の商店街。信号も倒れてがれきに埋もれてるので、交差点では運転手のアイコンタクトでなんとかなってる感じ。道路が走れるほどあいてるのが不思議なくらいだけど、地震から1ヶ月経ったからという事なのだろうな。よく道をあけたなーと思う。

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↑線路ごと大きく外れて落ちてきてる。

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↑ 家はまるごとひっくり返っている。

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↑目的地へ到着。釜石大観音の観光センターだって。ここらへんは津波は免れたようだ。

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↑この廃業になった観光センターが明後日から避難所になるという。小学校が始業するから被災者が移動してくるんだと。
私たちの仕事は、人が住めるように大掃除することだった。それなら私にもできる!ちょっとホッとした。女性でも無理なくできる仕事があるんだと、現地に来なければ分からなかった。
掃除部隊、やる気出してます!

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↑中は170畳の広さ。指示は「掃除機かけたり、棚を拭いたり、トイレを使えるようにしてください。とにかく明後日から人が入るので。」それだけ。
いつから放置されているのか…ヘンなフンみたいなものが落ちてたり。地震で額が落ちてガラスが割れたりしてる。どこから手を付けていいか途方に暮れる。

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↑とにかく畳をあける。運べ、運べ〜。

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↑蜘蛛の巣だらけのトイレを、何年も使われてないような用具で念入りに掃除。
なにコレ、見たこと無い虫の死骸!ヒ〜ッ!
ドアがガタついてるんだけど? 水流したら止まらないんだけど?
まぁトラブルもありつつ、マイペットとサンポールと雑巾でピカピカにしてやった!
だって、明後日から人が入るっていうんだから。自分が使うと思って気持ち良く使えるようにはしておかないと。
下がってるカレンダーを見たら2003年だった。7〜8年は使われてなかったんだな。

途中、外でテレンス・リーみたいな強面のおじさんに呼び止められる。なんでも、隣の住人だが、挨拶にも来ないじゃないか、勝手にされたら困る、と怒っている。
責任者を呼んで引き渡したけど、こういうご近所トラブルもあるわな。
また違った側面から震災というものを考えさせられる。

昼食は持参のコンビニもので適当に済ませ、夕方時間が来たので引き上げる。

ボランティアをやってみて。
現場は圧倒的に人手が足りない。壊滅的な沿岸部を見るだけでも、途方も無い気分になる。これが東北の太平洋側ずっと続いてるのだから、きっとやることはいっくらでもある。
やれることは瓦礫の除去だけじゃない。女性や体力の無い人でも出来ることはたくさんある。お風呂の番とか、食事の用意、車の誘導、物資の仕分けなどもある。実質的にマンパワーが必要なのだとひしひしと感じる。
バイト感覚でもいい、自信無くてもいい、自分に出来る仕事を選べばいいし、それがきっとあるはずだと思う。ゼロより、居れば居ただけきっと何かある。
ここで大事なのは『自分の面倒は、自分で見る責任を持つこと』。基本だと思う。これさえ守って他人に迷惑をかけないようにすれば大丈夫だと思う。

私の場合は盛岡のSAVE IWATEという団体から送られて行ったのだけど、地元の団体を探してコンタクトとることがまず必要になるかもしれない。その辺は詳しくなくてゴメンナサイ!現地まで高速バスも出てるところもあるし、地元までの足をなんとかすれば。

今日ニュースで『ブリヂストンがボランティア休暇を取り入れた』とやっていた。会社員はなかなか休めないから、行きたい社員を集めて、会社が休暇を出し、車をチャーターして現地へ向かったそうだ。
スゴク良い案だと思う。まだまだ何年も続くこの事態なので、こういう試みはどんどん増えるだろうと思う。

<追記 4/20>
かと言って、全員ボランティアに行くべし!と思ってる訳では全然なくて、もし迷ってるとか、行きたいけど勇気ない…と思ってる人がいるなら、「それは一歩踏み込んでも大丈夫だったよ」と、初心者として助言したい。
行けない人は、決して罪悪感を抱くことのないよう…ココは意外と大事だと思う。罪悪感の話をし出したら、現地の人だってあるらしいから。サラっとボランティア行ってきて、へえ、おつかれさま!みたいな感じになるとイイね。

そして、2時間以上かけて車で盛岡へ帰る。山道はそれだけで結構しんどい。

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↑盛岡でもっきり屋へ寄る。
盛り切り一杯、つまり「もっきり」、一杯呑み屋だ。普通に酒瓶を売ってる商店のレジ奥の、のれんをくぐれば呑むスペースが。
岩手の地酒「月の輪」をもっきりでいただいた。これがもっきりマシン。コップを下に置くと熱燗が注がれる。うーんウマイ!

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↑もっきりやで呑む人達。座敷の奥には大きな神棚があって、お母さんが自慢していた。すごく神々しい。
お母さんが塩をいーっぱい振った枝豆を、器いっぱいに差し出して「食ってぐかぁ?」。いや、先を急ぐので早々に失礼した。
夕方からゆっくり呑む豊かな大人の時間がそこにはあった。
またゆっくり訪ねたいなぁ。

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↑夜は、盛岡から車で30分ほどのつなぎ温泉へ。
婦人用だけで、露天風呂が2つ、大浴場もプールほど大きいのが2つ、ロビーはシャンデリア、部屋は純和室と、会社の慰安旅行にも良さそうなすごくイイ温泉ホテルが、2食付き8000円台と格安。「被災者支援プラン」というのが楽天トラベルに出てたので使ってみた。
それでもキャンセルが相次ぎ客はほとんどいないという。
お風呂はこんなに広いのにほとんど私一人の貸切状態だった。もったいない。もったいないのをどう解消しようかと、お湯に大の字になって浮かぼうとしてみたけど、沈んでしまった。

食事時に岩手の地酒・南部美人で乾杯。これもウマイんだなぁ〜。
さすがに疲れてたので、食事と温泉でずいぶん癒された。ボランティアの後の温泉、オススメです。

つなぎ温泉は地震のダメージはほとんど無いし、心配される余震も東京より感じないほどだし、放射能の心配も無いし、ホントおすすめだと思った。

明日は帰る日だ。

※同行のしりあがり寿さんがTwitterでつぶやいた「岩手被災地訪問で見て感じたことの備忘録」がコチラにまとめてあります→。合わせてご覧下さい。

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2011/04/15

大槌町の避難所を訪問しました

※各写真のコメントは後日つけます。もうヘトヘトなので寝ます@盛岡

コメントをつけました。(4/19)

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↑朝からラジオFM岩手の収録。しりあがりさんが今回岩手を訪ねたモロモロを話した。さるハゲの仲間たちも計らずも出演。夕方4~5時代『MAX WAVESCAP』で放送されたよう。

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↑盛岡から車で大槌町を目指す。2時間強の山道は、途中こんなに雪が残ってる場所もある。それくらい山ってコト。越えて行くのは結構タイヘン。道も限られている。同じ岩手県でも海岸沿いの被災地は気軽に行ける場所じゃない。だから支援やボランティアも遅れているという。

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↑なだらかな山が連なり、田畑が広がり、清らかな雪解け水の小川が流れる。日本の田舎の素晴らしい風景が続く。農作業している人や犬の散歩をしてる人。土手にはふきのとうがポコポコ顔を出している。地割れなどの地震の影響も見られなく、心落ち着く日本の原風景が広がる。  …海沿いまでは。

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↑海が近づいてくる。右上「津波浸水想定区域」の看板が見える。
ココを超えると途端に風景が一変する、と地元の人に聞いていて、緊張が走る。

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↑いきなり瓦礫が現れる。この道の向かいには車が仰向けになってる。いきなり。ココまで水が来たんだ。

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↑進むとどんどん被害がひどくなる。息をのむ。言葉も出ない。
TVで見て知ってる映像なはずなのに、直に見る意味は違う。何が起こってるか分からない。そこにあった営みが何も見えない。瓦礫のスケール感が実感となって迫ってくる。車で進んでも進んでも瓦礫の山。唖然とするばかりで、黙祷するスキさえない。どこもかしこも今まで見たことも無いような景色ばかり。

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↑あのコゲはなんだ?火が出たのか。恐ろしい。小学校も焼けていた。子供が1人で遊んでいた。

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↑大槌駅。駅舎も看板も何も無くなってた。ここが駅だったなんて…。
鉄のポールとか鉄柱が全部、海と反対方向になびくように根元から倒れてる。

東京に帰ってから、在りし日の大槌駅の写真があるサイト→を見つけた。
こんな営みがココにあったなんて…この屋根の色、自動販売機、知ってる…違う形で見た…この駅の前に車を停めた…ショック…胸が詰まる。

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空はどこまでも青く、陽はポカポカ気持ちいい。
遠くでウミネコがミャーミャー、他に何も聞こえない。
潮の匂いだけが異常に強く鼻を突く。
何がこんな惨状にしたんだ?水?水なのか!?今日はキラキラしてる、あの海なのか?
うすら笑うしかないくらい、圧倒的に自然は美しく残酷だ。
そして人間や人造物はひれ伏すように非力だ。

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↑道路以外はまだまだ瓦礫が整理されてない場所もある。本当に片付けようが無いと思う。

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↑道路はかなり整理されて車が走れる状態に。

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↑ドラえもんの本。たまたま開いてたページが『錦を着て故郷に帰る』。“故郷”かぁ…。
土を見ると、海岸の砂だ。運ばれてきたんだ。どうりで潮の匂いがキツイはず。海から離れてるけど、ここは海辺みたい。確かにこれでは田畑はムリだろう。

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それにしても、家にあるすべてのモノが放り出されてる。
たらい、メジャー、フライパン、ブラジャー、剣山、カセットテープ、世界の亀山、自分でペイントしたTV、便器、うわぐつ…
人はこんなにたくさんのモノに囲まれて暮らしてるんだな。

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私たちは、やはりこの現状を見ておかないといけないと思った。避難所を訪問するにあたってこの痛みを全く知らずに訪れることは出来ない。
次々整理されて消え行くこの現実を、今ここで起きていることを、しっかり見ておかなければいけないと、そう思った。
現地の人も、整理されないうちに見て欲しいと言っていた。
そして見ておいて良かったと思った。TVやネットでは伝わってこない現実がそこにあった。

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↑その後、大槌町の方が避難している『かみよ稲穂館』を訪問。

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↑140人くらい居るらしいけど、昼間は外へ出てるのかこの時は20人ほどだった。まずはしりあがりさんがご挨拶。

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↑さるハゲからのお菓子の差し入れをした。
現地の人のアイデアで、もう日持ちのする野菜とか羊羹とかっていうより、生クリーム的なモノが良い、ということで、シュークリーム、マカロン、卵プリンを渋谷から持って行った。
「渋谷で人気の商品ですよ」と言うとみなさん興味津々。
基本1人1個だけど、「2個もらっちゃダメ?」と訊く人多し。見かけもちょっと贅沢で可愛い形が良かったみたい。大好評で、華やいだひとときになった♪

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↑別室でお絵描き教室開催。やりたい人だけ来てもらった。参加は10人程度か。ほとんどが高齢者の女性。
しりあがりさんは子供に絵を描いてあげていた。

私は、持参した自著『うたうぬりえ帖』を高齢者と一緒にやった。
ドキドキしながら、ぬりえの曲に対応したCDをかけると、「なつかしいわね〜」と早速みなさん口ずさみながら楽しげに体を揺らしていた。もう歌詞なんか見なくたってみんな歌えるんだもんね。スゴイわ。歌につられて部屋を覗きにくる人もいたし。

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「リボンは何色にする?」「靴は?」という話から
「この歌の時代はねぇ〜」と昔話も。
「私は昭和ヒトケタだから、もう80歳よ。戦争の時は疎開もしたの。ココよりもっと田舎に疎開したんだから〜。またココへ帰ってきたのよ。」

母親の友達の輪に入って話しているような感覚で、恐縮しながらも楽しかった。やはり女性同士はいつまでたっても女性同士の輪がある。そこはもう、年齢など関係なくみんな少女のようだ。

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↑このぬりえを仕上げた70代くらいの女性は、
「暗い気持ちだったから、最初は青くて暗い色しかぬれなかったけど、ほら、描くうちに黄色が塗れたわ。ラッキーカラーは黄色にしよう。虹も描こうかしら。」なんて笑顔がこぼれ、最後には、
「明るい気持ちになったわ、集中できて楽しがった〜。ありがとう」と言われた。
真っ白で何も無い場所、ぬりえとは関係ない背景に、虹色のアーチが描かれてゆく。目を細めて色を選ぶ女性。その人の心に、虹が架かったんだね。虹が…。
参加した皆さんも次々に「ありがとね〜」と笑顔で帰っていった。桜が描いてあった『4月号』も「桜が塗りたいわぁ〜」と手に手に持って帰っていかれた。

その人々の笑顔に、私自身が一番救われたと思う。
ぬりえはコミュニケーションに役立ったと実感した。こんな自分でも少しは役立った気がした。嬉しかった。

みなさん話したがっている。話すキッカケを作れたかもしれない。もちろん、津波のことは最初はお互い話さないけど、どこかで話したいのじゃないかと思う。やはり女性は話をすることで消化してゆくところもあるから、話すことは安定をもたらす事にも繋がるように思う。

印象的だった話をメモしておく。

「不謹慎かもしれないけどヨ、お父さんが去年死んで良がったと思ってんの。津波で逃げようって言ったって、ガンコで逃げる人じゃねぇもんで…お父さん生きてたら、私まで一緒に死んでたわ。それか、お父さんの遺体探すの大変になるとこだったわ。去年死んでくれたから、墓にちゃんと入っていてくれるし、お参りもできるわ。」

「自分の名前の分かるようなものを、肌身離さず身につけとげやぁ。免許証とか。服に名前を縫い付けるとか。死体になってもすぐ誰か分かるでな。」

「服のポケットにいつでも飴コさ1個入れとけ。いざという時生き延びられる。」

「私はナ、水門の方の家なんだけど、車で高台に逃げたの。早い方だったから助かったけど、後の人達は道が渋滞になってしまって…降りて歩けば良かったんだけど、津波慣れしてるから大丈夫だと思って車降りなかったんだ…そしたらプカプカ浮いちゃってよ、翌日は車から遺体ですよ。」

「油絵や押し花の教室やっとったんだわ、私。作品がいっぱいあってね、こーんな大きいのも。展示会もやってたんですよ。思い入れのある作品もあったけど…ぜーんぶ流されてしまったわ。せめて寄付しとけば良かった…」

「モノが全部流されて、物欲が無くなりましたわ。逆に肩の荷が降りた気分よ。」

その女性は、津波の話をするときはあっけらかんとしてたけど、自分の作品の話のときは悔やみきれない表情で涙ぐみそうになってたのが印象的だった。
私たちは、ただただ「ええ」「はい」「そうでしたかぁ〜」と聞いてることしかできなかったけど、それはそれで良かったのでは、と思う。

この、しりあがりさん達と避難所を訪問した様子が朝日の記事になってました。

『漫画家しりあがり寿さん避難所訪問 大槌』→

『うたうぬりえ帖』もこっそり写り込んで(笑)、楽しまれた様子が紹介されています。

訪問して感じたこと。人間は「生きてる」だけじゃ、それだけじゃダメなんだ。文化まで捨てたらいけない。また捨てられない。シュークリームとかぬりえとか、生活の中のちょっとした嗜好、それを選ぶ自由、好きな服を着る自由、ステキなティータイムを持つ自由、それを得て人間らしい気持ちになれるんだな。
義援金としてお金を送るのも必要なことだと思う。
けど、本当に良いと思うのは、仕事があってそれでお金を得られることだ。社会に対する責任感は、生き甲斐に繋がる。自分の肯定にも繋がる。
現地の人ができる仕事、一人一人の社会での役割分担が、一刻も早く復活することを願っている。

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また山道を2時間強かけて盛岡まで帰って、岩手放送IBC(テレビ)でしりあがりさんの収録。『震災情報岩手』今日の話。翌日放送されたようだ。

そんなこんなで明日はいよいよボランティア!

※同行のしりあがり寿さんがTwitterでつぶやいた「岩手被災地訪問で見て感じたことの備忘録」がコチラにまとめてあります→。合わせてご覧下さい。

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2011/04/14

盛岡に着きました

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↑東北自動車道で約7時間。道中、警察の緊急自動車や、赤十字の車、消防隊や、自衛隊の車などを多数見かける。原発が近い安達太良SAでは、警視庁の車両が駐車場いっぱいに停まっていて、警察官が大勢整列してるのも見かけた。

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↑道路は新しく直された色をしてるところが多かったけど、まだ直してる途中のところもあった。宮城越えたあたりから、道路のヒビ割れも目立ち、やや波打ってる箇所も。そこを通過する都度おしりが浮いた。

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↑盛岡駅前の風景。お店も通常営業をしている印象。人も多く、お店でくつろいだ姿も。少しホッとする。これは盛岡が内陸部だから。これだったら、盛岡出張や旅行予定の方はキャンセルしないで行った方が良いと思う。こういうことは報道しないから全然分からなかった。

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↑盛岡名物じゃじゃ麺を食べる。お店も賑わってる。

110413_05_2↑SAVE IWATEの本部。元消防隊の番屋だったところが使われている。


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↑中は、仕分けされた支援物資でいっぱい。

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↑SAVE IWATE 代表・寺井さんに、しりあがり寿さんから義援金が手渡された。これは、先日のアートピクニックでのさるハゲブースの売上げ金。さるハゲに集う者たちがチャリティーで自分の作品などを出品したもの。私のぬりえを買って下さった方や、その他皆々様、ご協力どうもありがとうございました!

寺井さんの話で印象的だったのが「海の人は、海を離れようとしない」「報道が少なくなると忘れられてしまう。長期的な支援をお願いしたい」ということ。

県の中心・盛岡が内陸部にあり、壊滅的な被害を受けた沿岸部に行くには、車で2時間もかかる。途中で山も越えなければならない。同じ県でも被害は雲泥の差で、他者を容易に受け入れない海の人の気質もあって、なかなかボランティアも入れないらしい。入ったところで住み込むところもないらしい。そんな色んな条件が海沿いの復興を遅らせているという。…だからこそ、長期的な支援が必要なんだ、一番良い支援は、やはりお金だと思う。

明日は、その海沿いの大槌町の避難所を訪問します。


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2011/04/13

岩手へ向かいます

あの地震以来、メモしときたいことがたくさんありつつ、できてない毎日。

1ヶ月と少し経った本日、岩手へ向かいます。
以前から、自著「うたうぬりえ帖」を被災地へ寄贈しようと、版元社長と思いつき、地道に色鉛筆業者に賛同を呼びかけてきたのですが、未だ結果には結びつかず。
そんな時に、漫画家のしりあがり寿さんが、岩手を訪ねるとのこと。
なんでもしりあがりさんの同級生が盛岡で被災し、被災者支援団体SAVE IWATEを立ち上げ、代表者として頑張っているのを応援しに行くんだと。

迷いましたが、同行させてもらうことにしました。
私は、自著の「うたうぬりえ帖」を200冊持ってゆきます。

生活そのものが確立されてないかもしれないのに、ぬりえなんて、まだまだかもしれません。けど、ふとした瞬間に本を広げてもらえるかもしれない。
邪魔になるだけかもしれない。
喜んでもらえるかなんておこがましいけど、もし開いてもらえる時が来たら、そしてそこにある歌を口ずさんでもらえたら…何かのキッカケになるかもしれない。
実際、認知症の高齢者施設で一緒に歌ってぬりえをしたとき、寄り添わないと分からないことがあるなぁー、と感じました。パソコンの前の議論だけじゃやっぱダメなんだなぁ。
現地入りして、最悪ぬりえは必要ないと判断したら、持って帰ってくるかもしれません。これ以上ゴミを増やしてもいけないし。
それも見てみないと分からないと思いました。
一方的に送りつけるよりかは、行く機会があるので見て来ようと思いました。
なにより、現地の方に訊いたら「持ってきて」と言って下さったので、行くことにしました。

しりあがりさんは、現地で子供たちとお絵描き教室をやるようです。
そのお手伝いもできそうだし、ボランティアにも参加してこようと思っています。

さるハゲの車は、現地からリクエストのあったお菓子を持って行きます。もう日持ちのする野菜とか、日持ちするお菓子とか、っていうより、生クリームの入ったようなものがイイとのこと。マカロンやシュークリームを持って行きます。他にも支援物資を積んで行きます。
そして、先日のアートピクニックでのチャリティバザー売り上げ103200円を寄付しに持っていきます。ご協力いただいたみなさま、ありがとうございました!

これを書いている今も、余震で揺れています。
家が一瞬ミシッと言うこの感覚、いつまでも慣れなくドキッとします。
この2日ほど大きな余震が多いので、東京にいてもコワイです。
正直、東北に行くのコワイです。余震コワイし。高速道路も歪んでるというし。高放射能の近くも通るし。
けど、行くことを決めました。

盛岡のホテルも「私たちはやってます」と掲げて経営してるし、なるべく地元経営のホテルに泊まろうと、キャンセルが相次いで困ってるという温泉地にも1泊宿を取りました。
駅前は居酒屋もやってるというし、地元の美味しいもの食べて来ようと思っています。
でも、何があるか分からないので、今からおにぎりをたくさん握っていきますよー。

ということで、行ってきまーす!

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