※各写真のコメントは後日つけます。もうヘトヘトなので寝ます@盛岡
コメントをつけました。(4/19)

↑朝からラジオFM岩手の収録。しりあがりさんが今回岩手を訪ねたモロモロを話した。さるハゲの仲間たちも計らずも出演。夕方4~5時代『MAX WAVESCAP』で放送されたよう。

↑盛岡から車で大槌町を目指す。2時間強の山道は、途中こんなに雪が残ってる場所もある。それくらい山ってコト。越えて行くのは結構タイヘン。道も限られている。同じ岩手県でも海岸沿いの被災地は気軽に行ける場所じゃない。だから支援やボランティアも遅れているという。

↑なだらかな山が連なり、田畑が広がり、清らかな雪解け水の小川が流れる。日本の田舎の素晴らしい風景が続く。農作業している人や犬の散歩をしてる人。土手にはふきのとうがポコポコ顔を出している。地割れなどの地震の影響も見られなく、心落ち着く日本の原風景が広がる。 …海沿いまでは。

↑海が近づいてくる。右上「津波浸水想定区域」の看板が見える。
ココを超えると途端に風景が一変する、と地元の人に聞いていて、緊張が走る。

↑いきなり瓦礫が現れる。この道の向かいには車が仰向けになってる。いきなり。ココまで水が来たんだ。
↑進むとどんどん被害がひどくなる。息をのむ。言葉も出ない。
TVで見て知ってる映像なはずなのに、直に見る意味は違う。何が起こってるか分からない。そこにあった営みが何も見えない。瓦礫のスケール感が実感となって迫ってくる。車で進んでも進んでも瓦礫の山。唖然とするばかりで、黙祷するスキさえない。どこもかしこも今まで見たことも無いような景色ばかり。
↑あのコゲはなんだ?火が出たのか。恐ろしい。小学校も焼けていた。子供が1人で遊んでいた。

↑大槌駅。駅舎も看板も何も無くなってた。ここが駅だったなんて…。
鉄のポールとか鉄柱が全部、海と反対方向になびくように根元から倒れてる。
東京に帰ってから、在りし日の大槌駅の写真があるサイト→を見つけた。
こんな営みがココにあったなんて…この屋根の色、自動販売機、知ってる…違う形で見た…この駅の前に車を停めた…ショック…胸が詰まる。
空はどこまでも青く、陽はポカポカ気持ちいい。
遠くでウミネコがミャーミャー、他に何も聞こえない。
潮の匂いだけが異常に強く鼻を突く。
何がこんな惨状にしたんだ?水?水なのか!?今日はキラキラしてる、あの海なのか?
うすら笑うしかないくらい、圧倒的に自然は美しく残酷だ。
そして人間や人造物はひれ伏すように非力だ。

↑道路以外はまだまだ瓦礫が整理されてない場所もある。本当に片付けようが無いと思う。
↑道路はかなり整理されて車が走れる状態に。

↑ドラえもんの本。たまたま開いてたページが『錦を着て故郷に帰る』。“故郷”かぁ…。
土を見ると、海岸の砂だ。運ばれてきたんだ。どうりで潮の匂いがキツイはず。海から離れてるけど、ここは海辺みたい。確かにこれでは田畑はムリだろう。
それにしても、家にあるすべてのモノが放り出されてる。
たらい、メジャー、フライパン、ブラジャー、剣山、カセットテープ、世界の亀山、自分でペイントしたTV、便器、うわぐつ…
人はこんなにたくさんのモノに囲まれて暮らしてるんだな。
私たちは、やはりこの現状を見ておかないといけないと思った。避難所を訪問するにあたってこの痛みを全く知らずに訪れることは出来ない。
次々整理されて消え行くこの現実を、今ここで起きていることを、しっかり見ておかなければいけないと、そう思った。
現地の人も、整理されないうちに見て欲しいと言っていた。
そして見ておいて良かったと思った。TVやネットでは伝わってこない現実がそこにあった。

↑その後、大槌町の方が避難している『かみよ稲穂館』を訪問。

↑140人くらい居るらしいけど、昼間は外へ出てるのかこの時は20人ほどだった。まずはしりあがりさんがご挨拶。

↑さるハゲからのお菓子の差し入れをした。
現地の人のアイデアで、もう日持ちのする野菜とか羊羹とかっていうより、生クリーム的なモノが良い、ということで、シュークリーム、マカロン、卵プリンを渋谷から持って行った。
「渋谷で人気の商品ですよ」と言うとみなさん興味津々。
基本1人1個だけど、「2個もらっちゃダメ?」と訊く人多し。見かけもちょっと贅沢で可愛い形が良かったみたい。大好評で、華やいだひとときになった♪
↑別室でお絵描き教室開催。やりたい人だけ来てもらった。参加は10人程度か。ほとんどが高齢者の女性。
しりあがりさんは子供に絵を描いてあげていた。
私は、持参した自著『うたうぬりえ帖』を高齢者と一緒にやった。
ドキドキしながら、ぬりえの曲に対応したCDをかけると、「なつかしいわね〜」と早速みなさん口ずさみながら楽しげに体を揺らしていた。もう歌詞なんか見なくたってみんな歌えるんだもんね。スゴイわ。歌につられて部屋を覗きにくる人もいたし。
「リボンは何色にする?」「靴は?」という話から
「この歌の時代はねぇ〜」と昔話も。
「私は昭和ヒトケタだから、もう80歳よ。戦争の時は疎開もしたの。ココよりもっと田舎に疎開したんだから〜。またココへ帰ってきたのよ。」
母親の友達の輪に入って話しているような感覚で、恐縮しながらも楽しかった。やはり女性同士はいつまでたっても女性同士の輪がある。そこはもう、年齢など関係なくみんな少女のようだ。

↑このぬりえを仕上げた70代くらいの女性は、
「暗い気持ちだったから、最初は青くて暗い色しかぬれなかったけど、ほら、描くうちに黄色が塗れたわ。ラッキーカラーは黄色にしよう。虹も描こうかしら。」なんて笑顔がこぼれ、最後には、
「明るい気持ちになったわ、集中できて楽しがった〜。ありがとう」と言われた。
真っ白で何も無い場所、ぬりえとは関係ない背景に、虹色のアーチが描かれてゆく。目を細めて色を選ぶ女性。その人の心に、虹が架かったんだね。虹が…。
参加した皆さんも次々に「ありがとね〜」と笑顔で帰っていった。桜が描いてあった『4月号』も「桜が塗りたいわぁ〜」と手に手に持って帰っていかれた。
その人々の笑顔に、私自身が一番救われたと思う。
ぬりえはコミュニケーションに役立ったと実感した。こんな自分でも少しは役立った気がした。嬉しかった。
みなさん話したがっている。話すキッカケを作れたかもしれない。もちろん、津波のことは最初はお互い話さないけど、どこかで話したいのじゃないかと思う。やはり女性は話をすることで消化してゆくところもあるから、話すことは安定をもたらす事にも繋がるように思う。
印象的だった話をメモしておく。
「不謹慎かもしれないけどヨ、お父さんが去年死んで良がったと思ってんの。津波で逃げようって言ったって、ガンコで逃げる人じゃねぇもんで…お父さん生きてたら、私まで一緒に死んでたわ。それか、お父さんの遺体探すの大変になるとこだったわ。去年死んでくれたから、墓にちゃんと入っていてくれるし、お参りもできるわ。」
「自分の名前の分かるようなものを、肌身離さず身につけとげやぁ。免許証とか。服に名前を縫い付けるとか。死体になってもすぐ誰か分かるでな。」
「服のポケットにいつでも飴コさ1個入れとけ。いざという時生き延びられる。」
「私はナ、水門の方の家なんだけど、車で高台に逃げたの。早い方だったから助かったけど、後の人達は道が渋滞になってしまって…降りて歩けば良かったんだけど、津波慣れしてるから大丈夫だと思って車降りなかったんだ…そしたらプカプカ浮いちゃってよ、翌日は車から遺体ですよ。」
「油絵や押し花の教室やっとったんだわ、私。作品がいっぱいあってね、こーんな大きいのも。展示会もやってたんですよ。思い入れのある作品もあったけど…ぜーんぶ流されてしまったわ。せめて寄付しとけば良かった…」
「モノが全部流されて、物欲が無くなりましたわ。逆に肩の荷が降りた気分よ。」
その女性は、津波の話をするときはあっけらかんとしてたけど、自分の作品の話のときは悔やみきれない表情で涙ぐみそうになってたのが印象的だった。
私たちは、ただただ「ええ」「はい」「そうでしたかぁ〜」と聞いてることしかできなかったけど、それはそれで良かったのでは、と思う。
この、しりあがりさん達と避難所を訪問した様子が朝日の記事になってました。
『漫画家しりあがり寿さん避難所訪問 大槌』→
『うたうぬりえ帖』もこっそり写り込んで(笑)、楽しまれた様子が紹介されています。
訪問して感じたこと。人間は「生きてる」だけじゃ、それだけじゃダメなんだ。文化まで捨てたらいけない。また捨てられない。シュークリームとかぬりえとか、生活の中のちょっとした嗜好、それを選ぶ自由、好きな服を着る自由、ステキなティータイムを持つ自由、それを得て人間らしい気持ちになれるんだな。
義援金としてお金を送るのも必要なことだと思う。
けど、本当に良いと思うのは、仕事があってそれでお金を得られることだ。社会に対する責任感は、生き甲斐に繋がる。自分の肯定にも繋がる。
現地の人ができる仕事、一人一人の社会での役割分担が、一刻も早く復活することを願っている。
↑また山道を2時間強かけて盛岡まで帰って、岩手放送IBC(テレビ)でしりあがりさんの収録。『震災情報岩手』今日の話。翌日放送されたようだ。
そんなこんなで明日はいよいよボランティア!
※同行のしりあがり寿さんがTwitterでつぶやいた「岩手被災地訪問で見て感じたことの備忘録」がコチラにまとめてあります→。合わせてご覧下さい。
最近のコメント