釜石の現地ボランティアに参加しました
(4/15の日記です)
↑朝6時に車で盛岡を出る。途中朝市に寄って新鮮な野菜や魚の市場を見学。100円のお好み焼きを買う。 ダシ味のトロロ入り小麦粉を薄く焼いた和風クレープみたいなモノだったけど、めっちゃ美味しかった♪
頬っかむりのおばあさん達が古いストーブを囲む姿は、いかにも東北らしく、絵になってた。そして皆元気だ。女のあっけらかんとした笑顔は頼もしい。
↑盛岡から山道を1〜2時間。遠野のセンターに朝8時集合。ここでボランティアの登録をする。いろんな所から人がたくさん集まっている。ヘルメット、ゴーグル、長靴、マスクは標準装備で、みなさん本気度が漂っていてドキドキ。ヒョエ〜!私は正直がれき除去とか力仕事には自信ナイよ〜。もちろん、ボランティアは初めて。自分なんか役に立てるんだろうか…けど、自分のペースで頑張るぞ、とキラッキラの朝日に思う。長靴、マスク、軍手は持参した。粉塵を想定してコンタクトはやめてメガネにした。
↑ヘルメットなど貸し出ししていた。他にもスコップやクワなども。
ボランティア保険に入って、いろんな派遣先へ割り振られる。
大きな声で「おはようございます!」と挨拶があり、注意事項が言い渡される。
「作業中も地震・津波があるかもしれないから避難経路を各自で確認してから作業すること」
「先日もピアノを運んでいて骨折をした人がいるが、自分のペースで無理のない仕事をすること」
「悪く言えば、被災者も我侭になってきてる時期なので、クレームトラブルにならないように安請け合いは決してしないこと」
そしてバスに乗って派遣先へ向かう。
毎日状況が変わる中、対応しながらこれが繰り返されてるなんて、タイヘンだー!
↑我々一行は釜石へ割り振られ、またそこで受付・登録をした。
名前や住所を書き込んで、配布される水をもらう。軍手やマスクも配られてた。分からない事だらけだけど、みなさん親切に教えてくれた。
↑これが仕事内容の表。いろんな仕事がある。必要な人数や性別も明記されてる。
↑ここ釜石シープラザの大きなテントに、様々な支援物資が届いていた。見てる間にも宅急便の車が荷物を下ろして去って行った。この荷物の中身を把握して、必要な所へ割り振るのはタイヘンだと思う。現場を良く知った人でないと出来ないだろうし、さぞかし現場の手が足りないだろう、と初見でも思う。
↑釜石シープラザがこの辺の集積所になってるので、自衛隊の車もたくさん停まっている。
↑バスの中から見えた釜石の光景。無惨な姿の車が整然と並ぶ。
↑釜石の商店街。信号も倒れてがれきに埋もれてるので、交差点では運転手のアイコンタクトでなんとかなってる感じ。道路が走れるほどあいてるのが不思議なくらいだけど、地震から1ヶ月経ったからという事なのだろうな。よく道をあけたなーと思う。
↑線路ごと大きく外れて落ちてきてる。
↑ 家はまるごとひっくり返っている。
↑目的地へ到着。釜石大観音の観光センターだって。ここらへんは津波は免れたようだ。
↑この廃業になった観光センターが明後日から避難所になるという。小学校が始業するから被災者が移動してくるんだと。
私たちの仕事は、人が住めるように大掃除することだった。それなら私にもできる!ちょっとホッとした。女性でも無理なくできる仕事があるんだと、現地に来なければ分からなかった。
掃除部隊、やる気出してます!
↑中は170畳の広さ。指示は「掃除機かけたり、棚を拭いたり、トイレを使えるようにしてください。とにかく明後日から人が入るので。」それだけ。
いつから放置されているのか…ヘンなフンみたいなものが落ちてたり。地震で額が落ちてガラスが割れたりしてる。どこから手を付けていいか途方に暮れる。
↑とにかく畳をあける。運べ、運べ〜。
↑蜘蛛の巣だらけのトイレを、何年も使われてないような用具で念入りに掃除。
なにコレ、見たこと無い虫の死骸!ヒ〜ッ!
ドアがガタついてるんだけど? 水流したら止まらないんだけど?
まぁトラブルもありつつ、マイペットとサンポールと雑巾でピカピカにしてやった!
だって、明後日から人が入るっていうんだから。自分が使うと思って気持ち良く使えるようにはしておかないと。
下がってるカレンダーを見たら2003年だった。7〜8年は使われてなかったんだな。
途中、外でテレンス・リーみたいな強面のおじさんに呼び止められる。なんでも、隣の住人だが、挨拶にも来ないじゃないか、勝手にされたら困る、と怒っている。
責任者を呼んで引き渡したけど、こういうご近所トラブルもあるわな。
また違った側面から震災というものを考えさせられる。
昼食は持参のコンビニもので適当に済ませ、夕方時間が来たので引き上げる。
ボランティアをやってみて。
現場は圧倒的に人手が足りない。壊滅的な沿岸部を見るだけでも、途方も無い気分になる。これが東北の太平洋側ずっと続いてるのだから、きっとやることはいっくらでもある。
やれることは瓦礫の除去だけじゃない。女性や体力の無い人でも出来ることはたくさんある。お風呂の番とか、食事の用意、車の誘導、物資の仕分けなどもある。実質的にマンパワーが必要なのだとひしひしと感じる。
バイト感覚でもいい、自信無くてもいい、自分に出来る仕事を選べばいいし、それがきっとあるはずだと思う。ゼロより、居れば居ただけきっと何かある。
ここで大事なのは『自分の面倒は、自分で見る責任を持つこと』。基本だと思う。これさえ守って他人に迷惑をかけないようにすれば大丈夫だと思う。
私の場合は盛岡のSAVE IWATEという団体から送られて行ったのだけど、地元の団体を探してコンタクトとることがまず必要になるかもしれない。その辺は詳しくなくてゴメンナサイ!現地まで高速バスも出てるところもあるし、地元までの足をなんとかすれば。
今日ニュースで『ブリヂストンがボランティア休暇を取り入れた』とやっていた。会社員はなかなか休めないから、行きたい社員を集めて、会社が休暇を出し、車をチャーターして現地へ向かったそうだ。
スゴク良い案だと思う。まだまだ何年も続くこの事態なので、こういう試みはどんどん増えるだろうと思う。
<追記 4/20>
かと言って、全員ボランティアに行くべし!と思ってる訳では全然なくて、もし迷ってるとか、行きたいけど勇気ない…と思ってる人がいるなら、「それは一歩踏み込んでも大丈夫だったよ」と、初心者として助言したい。
行けない人は、決して罪悪感を抱くことのないよう…ココは意外と大事だと思う。罪悪感の話をし出したら、現地の人だってあるらしいから。サラっとボランティア行ってきて、へえ、おつかれさま!みたいな感じになるとイイね。
そして、2時間以上かけて車で盛岡へ帰る。山道はそれだけで結構しんどい。
↑盛岡でもっきり屋へ寄る。
盛り切り一杯、つまり「もっきり」、一杯呑み屋だ。普通に酒瓶を売ってる商店のレジ奥の、のれんをくぐれば呑むスペースが。
岩手の地酒「月の輪」をもっきりでいただいた。これがもっきりマシン。コップを下に置くと熱燗が注がれる。うーんウマイ!
↑もっきりやで呑む人達。座敷の奥には大きな神棚があって、お母さんが自慢していた。すごく神々しい。
お母さんが塩をいーっぱい振った枝豆を、器いっぱいに差し出して「食ってぐかぁ?」。いや、先を急ぐので早々に失礼した。
夕方からゆっくり呑む豊かな大人の時間がそこにはあった。
またゆっくり訪ねたいなぁ。
↑夜は、盛岡から車で30分ほどのつなぎ温泉へ。
婦人用だけで、露天風呂が2つ、大浴場もプールほど大きいのが2つ、ロビーはシャンデリア、部屋は純和室と、会社の慰安旅行にも良さそうなすごくイイ温泉ホテルが、2食付き8000円台と格安。「被災者支援プラン」というのが楽天トラベルに出てたので使ってみた。
それでもキャンセルが相次ぎ客はほとんどいないという。
お風呂はこんなに広いのにほとんど私一人の貸切状態だった。もったいない。もったいないのをどう解消しようかと、お湯に大の字になって浮かぼうとしてみたけど、沈んでしまった。
食事時に岩手の地酒・南部美人で乾杯。これもウマイんだなぁ〜。
さすがに疲れてたので、食事と温泉でずいぶん癒された。ボランティアの後の温泉、オススメです。
つなぎ温泉は地震のダメージはほとんど無いし、心配される余震も東京より感じないほどだし、放射能の心配も無いし、ホントおすすめだと思った。
明日は帰る日だ。
※同行のしりあがり寿さんがTwitterでつぶやいた「岩手被災地訪問で見て感じたことの備忘録」がコチラにまとめてあります→。合わせてご覧下さい。
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